街中での心配り
- human-life9
- 2月22日
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バス停で、たくさんの大学生が、視覚障がい者用のブロックの上に立っており、白杖を持った視覚障がいの方が通りにくそうにされていた。
すこし配慮の気持ちがあったら、分かりそうな気がするのだが、白杖が当たりそうになってやっと場所を空けていた。
スマートホンの影響もあるだろう。ずっと下を向いて立っていたら、周囲に気が付かない。
いつしか、バスや電車の社内では、大人もスマートホンに夢中で、周りが見えていないことがある。
スマートホンを見るなとは言えないが、もう少し配慮ができれば、とも感じる。
かたやあるスーパーでは、視覚障がい者のお客さんに、店員1人がつきっきりで買い物の手伝いをしている場面を見る。
スーパーも忙しいはずなのに、わざわざ人員を割いてまで、ここまでやっているところもある。
本来はヘルパーがやるようなことまで、いつもレジうちしていた店員が、買い物の付き添いをしているのだ。
これらは、単なる「優しさ」ではなく、その店舗の自然な配慮として根付いている感じがする。
ほかの店でも、さりげなく車椅子が置いてあったり、バリアフリーに対する配慮ができている所も多い。
映画館では、車椅子の客専用シートも、当たり前のようにある。
昔と比べて、町中のいたるところでの配慮感は、ひしひしと感じる。
ただ、それでも事故が起こることも、まだある。
ある記事では、踏切のレール部分に車椅子の車輪が挟まり、そのまま動けず列車に轢かれてしまった事故が書かれていた。
何かの配慮があれば、救えた生命だったのかもしれない。
これからも、配慮の集積を続けていきたい、と、このテクノロジーが飽和した時代に改めて思う。
