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喜・哀・楽

  • human-life9
  • 2023年7月15日
  • 読了時間: 2分

先日、京都の老人介護施設で、男の介護職員が、カッとなって利用者を蹴飛ばし、骨折させてしまった事件記事を目にした。


こうした暴力・虐待事件が起こるたびに思う。怒りの感情のはけ口を間違うな、と。


人間には、よく言われるように喜怒哀楽の感情表現があり、他の動物が持ち合わせていない感情の機微を出すことが出来る。


ただ、この中では、怒りの感情だけ、異質感がある。これだけは、他者に向けてしまうのは、禁忌なのだ。まして、子供や老人など弱者に対して、暴力という形で示すなど、論外である。


ただ、怒りの感情は、決してマイナスのイメージではなく、使う対象・方法を間違うなということである。


たとえば、国を守るため、社会の不正に対して、大義のため。怒りの力を原動力に、立ち向かう人間こそ、粋である。


訪問介護ヘルパーの仕事で、近所のスーパーに高齢者の代行で買い物に行く。安いウインナーを買おうとして、食品表示を見たら、輸入肉(国産分は5パーセント)としか書いていない。別の国産肉のみの商品は、それの倍の値段だ。


安い輸入商品には、添加物がたくさん入っているときく。ハムやウインナーのそれは、発癌性物質でもあり、この国がかつて戦争で負けた国から、無理やり買わされているのではないか、という噂もきく。


来月は、終戦記念日だ。

令和では、いまだに怒りの矛先を弱者に向ける輩がいる。しかし、かつての先祖の英霊たちは、怒りは大義や国家を脅かす強者に向け、現在の平和の礎を築いて来た。


我々が、今、安全な環境で、喜び、哀しみ、楽しむことが自由にできるのも、かつて正しく怒りの感情を駆使し、国家を導いてきてくれた先人たちのおかげであることを、忘れてはならない。


怒りに駆逐された人間は、ただの暴漢である。

しかし、怒りを失った人間も、脆弱な張り子の虎に過ぎない。


われわれ人間は、自らが生まれもった感情と、どう上手く付き合っていけるのか。平和な環境は、もうもらった。それを維持していく責任感は果たしてあるのか?先人たちの墓参りに行った際には、いろいろと先人達を想いしんみりとし、いつのまにか「無」の境地の感情となった次第である。

 
 

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