介護事故との向き合い方
- human-life9
- 10月26日
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最近、立て続けに、施設の入浴介助時に、事故が起きたニュースを目にする。
いわゆる、お湯の温度が高すぎて利用者が被害を受けたケースだ。
そんなことはありうるのか、とも思うが、これには複雑な要因が螺旋の様に絡んでいるとも思う。
対応していた職員は、1人のこともあれば、3人の時のケースもあった。
3人もいたのに、お湯の温度確認もしっかりできなかったのか、とも心にうかぶ。
詳細な情報までは分からないが、推測で語るなら、施設ならば時間に追われ、確認したのは1人だけだったのかもしれない。
いちいち3人全員が測りに行く余裕はなかったのかもしれない。
1人がOKです、と言ってしまうと、残り2人は信じてしまうかもしれない。
まして、温度確認した職員がベテランならば、他の職員は安心して業務を続けてしまうだろう。
お湯の表面温度だけ確認したのか、底の方まで手を入れて体感温度を確かめたのか、温度計は正常だったのか、議論となるポイントはいくつもある。
事故後の訴訟では、3人全員に連帯責任が生じる。
こんなことなら。多少、業務が遅れようが、ほかの職員に悪く思われようが、もう少し丁寧に介助すべきだったと後悔が残る。
施設側も、経営を維持するなら、人件費など経費が気になり、効率重視で回転率を高めようとしがちになる。
これらの要因は、業種を問わず、働くものすべてにとって対岸の火事ではないのだ。
人生の終わり際に、「あのとき、ああすればよかった」と感じることは、人間なら誰しもあるだろう。
「あのとき」は「いま」と同義語なのだ。
事故を100パーセント防ぐのは、100パーセント無理なのかもしれない。
しかしながら、事故のリスクは何パーセントか減らすことはできる。
「いま」、できるリスク管理をしていくしかない。
事故が起きなければ、いつもの日常で流れることが多い。
「あのとき、ああしといてよかった」イコール「いま、こういう事故予防対策ができてよかった」と、小さい何気ない成功体験を重ねていくこと。
目に見えない安全・安心は、見える貨幣より価値あるものなのかもしれない。