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自然災害と人の業

  • human-life9
  • 2024年1月7日
  • 読了時間: 2分

元旦から能登で地震が起こった。

まず、心に浮かんだのは、もしこれが京都だったらどうするかだ。津波の心配はないかもしれない。


ただ、家屋は古いものが多く、どれだけ揺れに耐えきれるかは疑問だ。耐震強度基準を満たしていたとしても、崩れるものは崩れるのではないか。そもそも、想定外のことが立て続けに起こるのが、自然災害の恐ろしさだ。


京都は住宅が密集しており、火災も心配だ。火や煙の広がりは迅速であり、こちらも脅威である。

地元に消防団はあるだろうが、しっかり機能できるかも、まだ大きな実例があまりないので分からない。


そして、何より怖いのが、人そのものである。

今回の能登の地震でも、ボランティアを装った火事場泥棒が発生したと、ニュースを賑わせている。

人の不幸に便乗した犯罪行為が特に多発しそうなのが懸念だ。


被災者自身も、メンタルが不調となり、加害者側にまわってしまうかもしれない。


こんな時、犠牲になるのは、高齢者・障がい者・女性・子供・ペットである。

政府としても、色々対策はしているだろうが、

被害者は泣き寝入りすることもあり、細かい部分まで気配りが行き届くかは疑問だ。


自然災害だけではなく、戦争も心配な世の中になりつつある。戦争でも、いつも犠牲になるのは弱者からだ。果たして、未曾有の事態に的確に行動できる者はどれくらい存在するのかはわからない。


人としての業は、非常時に弱者に対する態度で決まると思う。動物の世界は、弱者は生き残れず、文字どおり弱肉強食だ。


人間には、動物にはない正義感や倫理感、情が備わっているのは神の贈り物だろうか。

だが、正義なき力は無であるが、力なき正義も無であることは否めない。


自分の眼に届く範囲で良い。人の業を次の世代に繋ぐためにも、優しい地域社会の実現のためにも、真摯な、弱者をいたわる心を大切に。


リレーするのはバケツのみならず、こうした魂のバトンを繋いでいくべきである。

 
 

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