失って困るものとは何であろうか?
介護の仕事においてもだが、利用者との信頼や、信用など、視覚的に具現化できないものが多いのでは
ないだろうか。
一般的には、お金や不動産、衣食住に関するもの、
友人や家族、生命であろう。
ただ、時間だけは、誰にでも平等に与えられている資産である。
仕事においては、1日8時間労働であれば、
その使い方が問われるのだ。
無駄に使っても、有効に使っても、
同じ時間なのだ。
訪問介護とかになると、基本は1時間としたら、その中の業務で、選択と集中の密度を濃くしなくてはならない。
時間とは、有限であり、だれもが寿命がきたら、その資産は生命とともに消えゆくのだ。
お金では決して買えないし、年老いてから、若い頃の時間を取り戻すこともできない。
なにより、子供のころの、あの無限に続くかと思われた悠久の時間は、高齢になってからの時間とは価値がちがう。
福祉サービスを利用している高齢者からも、若い頃の時間を取り戻したいという声もよく聞く。
1時間でも、1分に感じるときがあるし、その逆もある。当人の肌感覚によるところも多い。
つくづく、時間というものは、不思議で貴重な存在だ。
だからこそ、時間をもし、「他人に分け与えられた」、という肌感覚を、他人に与えることができれば、それは生きていく上での醍醐味であろう。
はたして、課題が山積みの福祉サービスが、それを担えるのか否か。
とき「時」の、はざま「間」というつながりの、この言葉には、どのような意味があるのだろう。
こうした、「時間」に関して「時間」を使って考えること自体が、無駄かもしれない。
ただ、人生というものは、そうした無駄とも言える、個人の肌感覚の蓄積でもある。
新年から、無駄と分かりつつも、有意義で有限な時間を愛用していきたい。