夏本番になるにつれ、食中毒のニュースが増えてくる。飲食店で、集団食中毒が発生するなど、よく目にするようになった。
無論、店側もある程度、対策ははしていたのかもしれない。
ただ、「食」に関する限りは、絶対安心というものはない。
高齢者や子どもなど、食べた人次第では、食に対する免疫が弱く、事故につながる場合もある。
昭和の時代は、少々、不衛生でも、食べてしまっていた食べ物が多く存在する。
思想も、多少、汚くても平気、といったサバサバ感があったような気がする。
今ほど、集団食中毒の事件報道もテレビなどではなかったような気もする。勿論、報道に取り上げられてなかったかもしれないが。
それにしても、昭和やそれ以前の時代には、これら食中毒などはどう対処していたのだろう。
いまほど、正しい情報を共有する手段も少ない時代に、よくやっていたものだ。
もしかしたら、令和の今より、内臓が強かった人々であったりしたのだろうか。
現代は、食べ物は添加物まみれのため、いつのまにか、我々の内臓はダメージを受け、弱くなっているのかもしれない。
高齢者などの介護をする場合、支援者も、健康に気をつけて過ごさねばならない。
勿論、高齢者にアドバイスもできたらよい。
「医者の不養生」そのものにならぬよう、自愛せねばならない。
いわば、食中毒という異物によって、我々自身の「自愛力」が試されているのかもしれない。
食は、人間の生命活動には、かかせない。だからこそ、その不純物とも、その特性を理解し、うまく付き合わねばならない。
食中毒を生産する「菌」は、高熱でもしぶとく生き残るものもある。
それ以上に、人間も、それに負けないよう、しぶとく豪胆に共生しつつ、生きていけばよい。