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生きる選択の自由・権利・責任

以前から、そして最近もだが、難病患者や高齢者の尊厳死問題が熱を帯びている。

生きることに対しては、誰もが生きるために生きているという感じで、自然と時の流れに身を任せることとなるが、自分が置かれた状況により、話は変わる。


北欧など一部の国家においては、尊厳死が本人の意志として、認められている。賛否両論あるだろうが、それは紛れもない現実であり、日本人の目から見ても、考えさせられる。


日本で同様のことを実施することは、法に反することとなる。法治国家である以上、行政や司法の定められた枠組みの中で生きていくことが求められる。


ただ、独裁国家とは違い、生き方に関しては、法に反しない限りは、生き方を選択する自由が保障されている。そして、その自由が国家によって保障された権利として、我々日本人に付与されているのだ。


しかし一見、幸福に見えるこれら自由や権利には、必ず法の遵守などの責任が帯同してくる。


たとえ、自分と医師が同意していても、勝手に当人同士で話をすすめてしまっては、家族や他の支援者に迷惑がかかる。医師も、本人が同意していても法に罰せられる。


実は、自由や権利が保障されているとはいえ、第一に優先するのは、責任が持てるかどうか、ということも重要になってくるのではないか。


責任が持てて初めて、自由や権利が保障されるのかもしれない。


ある仏教の教えでは、形は何であれ、自ら生命を絶ったとしても、それが苦しみを除くことにならないとのこと。体は滅しても、意識は残ってしまい、苦しみは続いてしまうそうだ。


こういった教えは、科学的な論証はないが、ひとつの抑止力となりはしないか。


われわれは、生まれた瞬間から、目に見えないが、自由・権利・責任を、皆が平等に持つこととなる。

それらを、本当の意味で「尊厳」に変えられるかは、われわれの、社会課題への処し方次第だ。


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