最近、地震の回数が多く感じる。
それにより、自然災害時に対する備えの必要が高まり、医療福祉の分野でも、災害時・災害後にどのように業務を継続していくか、が焦点となっている。
災害時は自分や家族のことで精一杯になるかもしれないが、こればかりは現場の状況に応じて賢明な判断が求められるところだ。
災害と一口に言っても、自然災害だけでなく、戦争などの人災も考えられる。
最近でも、ウクライナが戦火となり、兵士が車椅子に乗った住民を避難させている写真を目にした。
空爆で橋が破壊され、川をわたるのに、板をおいて渡らないといけなくなったようで、空虚な表情をした住民の姿が目に焼き付いている。
いつの日も、犠牲になるのはこうした一般市民の弱者だ。
戦況によっては、将来的に日本も巻き込まれるのではないか、と予想する人もいる。
自然災害の備えはあっても、人災の備えは難しい。何が起こるか分からないし、日常から訓練しているわけでもない。
ミサイル攻撃なら分かりやすいが、だれもが予期しない別の形での攻撃があるかもしれない。
人間の価値の一つとして、極限の追い詰められた状況で、勇気ある正しい行動をとれるかどうかが、その人間の価値を示す指標となるという話を聞いたことがある。
たしかに、いくらお金をもっていて、地位や権力があっても、非常時におかしな行動をとってしまえば、面目丸つぶれだ。
そういう時にこそ、真の人間性が露呈するものだ。
災害の発生するパターンは無限といってよいほどある。すべてに対して備えたところで、訓練どおりに完璧に対処するのは難しいだろう。
いつの世も、人の人生・運命というものは、栄枯盛衰、流水のように変幻自在だ。
だからこそ、いつの世も状況や世相にとらわれず、泰然自若、柳に風といった余裕を持つことも大切だ。余裕があれば、自身のことも、他者のことも、両方救えるようになれるかもしれない。
余裕をもち、不安を普段から無くすことが、最大の心の備えとなるのかもしれない。
令和の時代は、「憂いなくして備えよし」としてみてはどうだろうか。