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学びのある日常

 ‘‘東風吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花 

主なしとて 春な忘れそ’’


平安時代に学問の神様と言われる、菅原道真公が詠んだ歌である。無実の罪で九州に流罪となるも、故郷の京の梅の花を偲んで詠んだ歌だ。


仕事で、北野天満宮前を通るたび、学びの大切さについて想起させられる。


介護職で言えば、利用者対応などの現場から得られる実務経験ベースの学び。活字やネット情報から得られる机上の知識ベースの学び。他にも色々ある。


知識ベースで言えば、今は情報過多の時代だ。

インターネットを開けば、学びに関連する情報は、無料で手に入る。しかし、ここに落とし穴がある。


無料だからこそ、情報の真偽性・価値や質が希薄となり、その量も多種多様となる。


我々は溢れる情報の深淵の底から、自分にとって有益な部分を探し出し、選別し、取り出していく作業から始めなくてはならない。


有益で整理された情報を得ようと思ったら、有料の介護関連のテキストや、外部研修の講習会を活用するにかぎる。


良い情報や学びに金銭を投資するのは、人類の歴史上を見ても、自明の理だ。


現代は、テクノロジーが発展・飽和しすぎて、選択肢があまりに多すぎ複雑過ぎる。牧歌的な平安時代に、和歌などの文化が発展したのも頷ける。


勿論、戦争もあったが、自然や風流を愛した当時の人々は、シンプルな良き学びに満ち溢れた時代を生きられたのではないだろうか。


皮肉にも、現代のデジタルテクノロジーが複雑化しすぎたため、昔のアナログ時代の学びや知恵が再評価されているともきく。


失ってみて、初めてその大切さに気づくものがある。


もし、平安時代、京都が菅原道真公を流罪で失っていなかったら。。。

歴史にもしもはないが、ふと寂寥感にとらわれる。


令和の今年春、梅の花の香ぐわしき香りと共に、新たに文化庁が京都に移転してきた。

道真公の意思は、時代を超えて紡がれていくだろう。


先人の教え・学びに応えられるよう、今日も学びを噛み締めながら、古都の轍(わだち)を行く日々である。


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