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別視点からの認知症

「父が突然、認知症になってしまった。私の顔も忘れてしまい、悲しい」


などといった会話を、よく街中で聞くようになった。

確かに、現代病とも言われる認知症が高齢化社会にとって悩みの種であることは、間違いない。

家族にその症状が出たら、世帯の生活に支障が出る確率は高い。所謂、まだ成年に達しない子供が親の介護をせざるを得ない、ヤングケアラーの問題も台頭してきている。


認知症は、現代病とは言われるが、勿論昭和以前の時代からもあり、医療福祉の発展・寿命の延びと共にクローズアップされてきた様相を呈している。


医療は確実に発展したが、まだ完全な治癒方法は存在していない。


人間の脳の仕組みに関しては、人類はまだ数パーセントしか解明できていないらしい。


また、脳を有する我々人間自身も、その脳の能力を数パーセントしか活用できていないらしい。


まだまだ謎に満ちた生命体である、脳という臓器を、これ以上解明・発展させてしまうと、人間は神の領域に近づいてしまうのではないか。


現在の能力で十分、地球環境上で生活できているのに、これ以上進化してどこを目指しているのか。


もしかしたら、認知症は、今まで脳に不必要な努力を強いて来すぎた人類に対して、警告のメッセージなのかもしれない。


人間は、生まれたら最後は必ず土に還り、脳も同時に活動を停止する。最期まで、脳をフル稼働させる必要もないだろう。


もの忘れがあってもいい。自分がどこにいるかわからなくなってもいい。安らかに、自然な状態で、穏やかな活動になっていってもよいのではないか。


あなたがどのような状態でも、そばにいるだけで、救われる人もいる。

病気や症状などという、ネガティブなイメージだけでとらえず、人間が自然に還りかけている状態とはいえないか。


我々人類は、脳や認知症の解明に関しては、決して真実には到達できないかもしれない。

しかし、本当に我々が認知するべきは、未達の真実ではなく、その人自身を目の前にしての現実である。


人間の現実的な叡智や愛が試される時代となるだろう。


神が本当に見たいのは、神になろうと能力以上にあがく人間の姿よりも、自らの持ち得た叡智と愛を駆使し、命題に取り組む人間の成長過程なのかもしれない。


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