介護者が直面する問題として、支援の内容と同様に、自身の身体のメンテナンスが挙げられる。
腰痛をはじめとする、故障や怪我はつきものでもある。
若い頃は、身体の酷使にも耐えられるだけの体力や持久力もあり、蓄積しているダメージも少ないであろう。多少の無理はきくイメージだ。
ところが、業務を重ね、年を重ねるにつれ、体力の低下やダメージの自覚の頻度は、顕著になっていく。
意識上は取り繕っていても、自身の身体は、真実の叫びを上げているものだ。
これからは、まるでアスリートかのような、細やかな身体のメンテナンスは、大切になってくるかもしれない。
施設介護では、多くの利用者に対応せねばならないし、訪問介護では、限定された空間で、限られたポジションで支援せねばならない。
知らず知らずのうちに、身体が侵蝕されていくため、自身との対話が必要となっていく。
人間、うまくいっているときほど、気が付かないことが多くものだ。
故障が出たり、無くしてみて、初めて狼狽し、その重要さに気づく。
「水と安全、健康は、失ってみて初めてそのありがたみに気づく」とよく言われる。
うまくいっているように見えて、見直してみたら、それは自分の思い込みだったこともある。
いわば、幻想と現実とは紙一重なのだ。
身体のメンテナンスのやり方も、現代は多種多様存在し、その中から自分たちで選択していかねばならない。
有料のものも、無料のものも、ある。
他者を支援しようと思ったら、まずは、自身の身体も支援していかねばならない。
「身体が資本」というならば、真に投資すべきは、有価証券や各種ギャンブルではなく、自身に対してであろう。
「守る」以上に、「護る」意識を。
優しい業界になればと切に願いたい。