top of page
検索

介護疲れから見る社会構造の問題

  • human-life9
  • 2023年6月12日
  • 読了時間: 2分

障がいを持つ子供や、高齢の親の命を、介護疲れから親族が絶ってしまう事件が、京都でも時折報道されるようになっている。


無論、これまで何件も昔から起きていたであろうが、一向に改善しゼロに向かう兆しはないように感じる。報道された事件は氷山の一角で、まだまだ予防対策も不十分ではないか。


事件が起こると、「なぜ、周りは気づいてあげられなかったのか」「容疑者も、なぜ役所や行政に助けを求めなかったのか」といった疑問が、お題目のように唱えられる。


しかし、これらは当事者にしてみれば、愚問ではないだろうか。介護疲れの問題は、メンタルがやられてしまい、正常な判断ができないことが多い。

役所や行政に助けを求めにいくにも、どう訴えたらよいか複雑でわかりにくいし、日々の家事や生活維持で目一杯ではないだろうか。


また、役所も夜間土日や年末年始は休みとなり、タイミングが合わなければ相談もしにくくなる。役所の担当者も、地域全ての世帯の状況を完璧に把握し、対策するなど、土台無理な話だ。そもそも、人的資源が足りていないのではないか。


昭和においては、地域で異変を察知し助け合うという土着の文化があった。いわゆる「村社会」のメリットとも言える。


反面、現代においては、社会保障制度は進歩しているが、「無縁社会」も比例するかのように加速している。事件が発覚した後も、容疑者のマンションの隣人も状況を全く認知してなかったケースもある。


こういった介護疲れからくる問題は、もはや現代

の社会構造そのものに罪があると言わざるを得ない。

容疑者の家庭だけでなく、社会構造そのものに、全体的に余裕がない。

皆、自分のことで手一杯で、他者に関心を向ける余地がない。

余裕の欠落した社会システムの構造は、砂上の楼閣である。


訪問介護は、福祉サービスを通じて、微細ながら他者の家庭に踏み込むことができる。

少しでも、余裕を創造し、分配できる手助けになればよいと切に願う。


 
 

最新記事

外国人と介護

近年、医療福祉の現場のみならず、 コンビニや飲食店などのサービス業においても、 外国人の店員がいるのが当たり前になってきている。 接してみると、日本語や言葉の受け取り方に多少の違和感はあるが、普通に業務をできている人が多い。 ただ、日本人店員ほどの安心感はないのが、致し方ない。たとえば、何かトラブルが起きた時の対応の仕方などが、曖昧で、謝罪の言葉もないことがある。 医療福祉の現場では、少しのトラブ

 
 
普通の意味とは

最近、特に国際事情が混迷を極め、戦争が身近な状況になってきている危惧がある。 日本もいつ、巻き込まれるかが問題ではあるが、 自然災害も、人災も、ある日に突然襲ってくる。 その時にならないと分からないことも多々あるが、いつの日にも巻き込まれるのは、子供や高齢者、障がい者といった社会的弱者だ。 また、災害時には、犯罪が横行するときく。普通に穏やかに生活していた人間も、理性を失い、加害者に変わってしまう

 
 
街中での心配り

バス停で、たくさんの大学生が、視覚障がい者用のブロックの上に立っており、白杖を持った視覚障がいの方が通りにくそうにされていた。 すこし配慮の気持ちがあったら、分かりそうな気がするのだが、白杖が当たりそうになってやっと場所を空けていた。 スマートホンの影響もあるだろう。ずっと下を向いて立っていたら、周囲に気が付かない。 いつしか、バスや電車の社内では、大人もスマートホンに夢中で、周りが見えていないこ

 
 
bottom of page